高橋文樹さんのSF短編小説「pとqには気をつけて」が、日本文藝家協会の『短篇ベストコレクション~現代の小説2019 ~』(徳間書店)所収作に選ばれました。新鋭から大ベテランまで、当代人気作家たちの選りすぐりの短編が収められたアンソロジーです。
「pとqには気をつけて」は、「小説すばる」SF特集(2018年10月号)初出の、異色の数学SF。同年秋に開催された京都SFフェスティバル合宿座談会でも、「こんなことを考える人はいない」(飛浩隆氏)、「まさかのチャート式数学BL」(大森望氏)と好評を受けていました(『Sci-Fire』2018)。
ところで、筆者は最近、今年5月16日に亡くなった文芸評論家の加藤典洋氏の、過去の文芸時評を再読する機会がありました。そこでは第39回新潮新人賞を受賞した高橋さんの「アウレリャーノがやってくる」も取りあげられ、高い評価を得ています。
「ウェブ世界と小説 ノリ・キレ超える『人柄』を」と題されたその時評は、いまからちょうど12年前に書かれたものですが、2019年現在においてもなお、その鋭さと有効性を失っていません。
冒頭で加藤氏は「このところ若い小説家の作品に漠然とした不審をおぼえる」と述べ、カラオケが広まって人々の歌唱レベルが上がったように、インターネットのブログ等の台頭と共に、新人賞受賞者たちの「レベル」は格段に上がった、と述べています。その一方で別の問題が生まれている、というのがこの論評での主題です。すこし長くなりますが、現在の書き手にとっても示唆的で、たいへん興味深い内容ではないか、という思いから引用します。
読んでいて、文章のノリもよく、キレもあり、面白いのだが、他方、ある単純なもの、あるいは逆に相当に複雑な感慨というものが、そのノリとかキレに抗する形で、持ちこたえられない。
人間型ロボットの世界を描く押井守監督のアニメ映画「攻殻機動隊」では、機械に代替できない人間の説明不可能な部分がゴースト(幽霊)と面白い呼ばれ方をしているが、ウェブの世界に漬かりながら、なおそれに影響を受けない「ゴースト」を、どう自分の中に持ちあわせるか、育てるかが、ここでの新しい課題である。
加藤典洋 2007年10月25日朝日新聞朝刊
加藤氏はいくつかの新人の作について、「ノリ、キレ、面白さがあって、作者の力量は疑えないとも思う。でも、何かが足りない。そこがくやしい」とした上で、「この点で有望」として、最後に高橋作品に触れます。
高橋の小説は(略)人を食った個所のほうぼうで、書き手の人柄(ゴースト)が顔を出す。カラオケならぬブログ以後の世界で、これだけナイーブな素直さが明るくとどまっていられるのは、一つの力と言ってよい。
前掲書
「人を食った」顔の裏からのぞく「ゴースト」(加藤氏の言葉を借りるならば「ナイーブな素直さ」を自身のなかに留めおく力)を、高橋さんは十年以上の歳月と「ウェブの世界」の更なる進化/拡大を経たあとの、「pとqにも気をつけて」のなかでも、たしかに持ちこたえている! このことに筆者はなにか、あかるむような驚きと頼もしさを感じたのです。
『短篇ベストコレクション~現代の小説2019 ~』は6月11日発売予定です。