第57回SF大会参加レポート

第57回SF大会参加レポート

これは方向性を見失ったレポートです。
もともと、SF大会に参加したことがない人に、少しでも雰囲気が伝わればいいな、とレポートを決意したものの、いざ参加してみたら途中でレポートする余裕を失った……という事情の所産です。
誤りなどございましたら、よければご指摘をお願いします。

SF大会について

私が初めてSF大会に参加したのは、昨年のことです。
大会の存在自体は、もしかしたらその前から知っていたかもしれません。

日本SF大会とは、と検索すれば色々情報が出てくることでしょう。
「全国のSFファンが集うイベントである」とか。
コミケとルーツを共有しているとか。
各大会を「○○コン」と呼ぶらしいとか。
「参加者の平均年齢が毎年一歳上昇する」とか。

さらに、「SFファン」について検索すると……。
とりあえず古今のSF小説を千冊単位で読破して、そらで軌道計算を行い、必要ならロボットを組み立て、さらには海外現代文学にも通暁している……その上で滅茶苦茶議論する、そんな人物像が思い描かれます。

要はSF大会とは黒帯たちの武道会。
ひよこが乗り込んだら入り口でシャッターと視線と高速詠唱によって八つ裂き。
そういう場所じゃないかなという印象を抱いても、無理はないことでしょう。

少なくとも一年半くらい前の私は、コワイイベントなんじゃないかと思っていました。

「早川や創元の文庫をちょっと読んだ。面白かったしSFは好きだと思うけれど、『SF読み』とは名乗れない。サイバーパンクとかニューウェーブとか詳しくないし……」
「SF研にも入ったことはない。人とどうやって話したらいいのかわからない」
という状態でした。

それでも参加したのは、ゲンロンの「SF創作講座」で、大森望さん(書評家・翻訳家)や、まわりの受講生の方から、「こわくない」といったことを吹き込まれたためでした。

(なんか新興宗教の勧誘臭いな)

でまあ参加してみると、意外とマイルドな、というか、気楽な場所でした。
そして、何より、そこで初めて知り合った人たちと、話が盛り上がるのが楽しかった。
ということで、今年も参加してみることにしました。

SF大会の構成

SF大会は、昨年の初参戦のときに大変ありがたかったことに、多数の「企画」を含んでいる。
含んでいるというか、大学における講義のような感じで、出ようと思えばほとんど一日どこかの企画に出られる。(講義にでなくてもいいように、大会でも、企画には出なくてもいい。物販コーナーをうろついたり、誰かと立ち話したり、会場の外に行ったり。そのまま消息不明になる人もいるかもしれない)

内容は色々。今年は海外SFの紹介のコマが、中国、韓国、インドといくつかあって、印象的だった。
オペラ歌手のうたうアニソンを聴くというようなものもある。

進め方には、
・ゲスト参加者たちがテーマに沿って話していくもの
・そこに来た全員で話し合うもの、なにかをつくるもの
・上映会
などがある。

企画には、大会運営が計画するものもある一方、参加者の有志が立ち上げるものも少なくない。
たとえば「暗黒星雲賞」という「星雲賞」のパロディ企画も、参加者の加藤氏が立ち上げ、30年近く継続しているものであるらしい。
参加者がつくることのできるイベントなのかもしれない。

大会の企画一覧(
リンク
企画タイムテーブル(PDF, URL http://www.juracon.jp/img/timetable.pdf)

今回のSF大会は旅館貸し切りで行われていて、企画部屋のタイプには宴会場、ホール、まあまあ広い部屋、普通の和室とがあった。改装工事中なのが災いし、冷房のかわりに扇風機等を利用する部屋も存在。

以下続き。

大会会場など

上毛高原駅からバスに乗り、「観光会館前」にて下車。リュック×軽装の三人組がすたすた歩いて行く方へ進めば、ホテル聚楽がみつかった。意外と歩いた、暑かった。
ホテルはThe 工事中といった様相。平安時代の説話で顔を隠している姫君みたいな感じで砂っぽい色彩のカバーがそこら中にある。入り口は細く、通過するとつんとにおう。小学校の文化祭で作った迷路みたいな、お手製わくわく感すら感じる。奥に入ると、受付コーナー。人が固まっているので、やっと大会会場に着いたんだなという実感。
このときは正直不安があった。
泊まりこみの参加は初めてなのだ。

SF大会には、合宿がセットのものとセットでないものとがある。
また、「都市型」「リゾート型(地方型)」という区分けもあるらしい。
都市と非都市の境界はよくわからないが、今回は、合宿つきの「リゾート型」らしい。

合宿がセットではない大会の場合、日中大会会場に赴いて企画に参加し、夜になれば自由行動。各自ホテルや家や酒場に泊まる。

今回のような、合宿がセットの場合、典型的には、ホテル・旅館が会場となり、そのままその建物へと泊まりこむものであるらしい。今回は、企画会場「ホテル聚楽」や近くにある旅館「松葉屋」などが、宿泊場所となっている。他の方との同室希望も出せるが、あまり知り合いがいない場合、見知らぬ人々数名と相部屋で過ごすわけだ。
泊まり。
緊張する。
礼儀には自信がない。
対人所作は理性でとりつくろっており、なにも考えずに振る舞えば白眼視されるという、経験に裏打ちされた自信がある。
といったが、そんなここからライフハックが始まるような話は横に蹴ろう。

大会の仕様について話そう。
企画の中心は夜になる。

この第57回SF大会「ジュラコン」では、開会式は夕方に行われ、その後18時半から24時ごろまでが、企画の多く固まった時間帯となる。0時をまたいでも企画は催され、最後のものは6時まである。そして午前9時から11時まで、閉会式が存在する。
前回は二日間で、一日目のお昼~20時半と二日目の朝~15時が企画に当てられていた。原理的には、だいぶ余裕がある。
(とはいえ、参加してみれば、一日目、パーティで知り合った人たちと夜中まで居酒屋で談義して、翌日はゆっくり参加にしたのだけれど)
今回は体力的に大変だろうな、と予想された。
(※早めに部屋に帰って寝ることもできます)

蓋を開けてみると、部屋の方は、はじめこそ緊張したものの、同室のお姉様方に穏やかに迎えていただき、ありがたいものだった。
体力の方は、大変だった。(※早めに部屋に帰って寝ることもできます)

雰囲気

コミュニケーションに関しては、ある面で「あっさりしている」という印象がある。
話しても過ごせ、話さなくても過ごせる。
開会式・閉会式等での話を聞くに、今のSF大会の参加者には、「自分たちは『変わっている』」「SF大会では、変な人(自分たち)が変なままでいられる」という認識を持っている人が多いのかもしれない。
もちろん、話したい相手とうまく話せるかどうかは別の問題なのだけれど、参加するだけなら気楽な場所だ……と思う。多分。

もしこれを読んでいるあなたが、SF大会に興味があるけれど参加を迷っているのであれば、首都圏在住者でしたら、次回の「Sci-con」をおすすめします。場所は埼玉大宮ソニックシティ。合宿セットではない「都市型」です。
無料で入れるゾーンもあるはずなので、まずちらっと顔だけ出してみて、大きさが同じくらいのスケールの生物らしきどなたかに初参加だと話しかけてみると、きっと歓迎されることでしょう。(たとえ無反応にみえたとしても)

参加企画

↓だいたいこういった場所に顔を出した。部分参加が多め。行きたい企画が被る。

ディーラーズルーム
「人型ロボットの現在と未来」
部屋
開会式
夕食
「哲学対話でSFの問いを考えてみよう」
「中華SFの世界」
「手作り3D映像とプラネタリウム」
大広間(宴会場)
朝食

メモ書きを残します。
なお、記憶が飛んでいる可能性が結構あり、正確さは保証できません。

・ディーラーズ・ルーム

入り口からそのままつづくエレベーターホールに行くと、小さなホールに人が密。エレベーターの個数が足りていない模様。
まわりを認識しようとしていたりしたとき、創作講座の甘木さんと会って、大会会場についてのTips、企画の話などを聞く。
いた方々と、会場のダンジョン性について話す。(この会場、7階くらいまで使うものの階段が1階から3階までしか通じていない、とか、3階が二つに分断されている、とかいう状況であった)

エレベーターに無事乗ってからスーツケースを部屋に置き、うろつく。1階の「ディーラーズ・ルーム」に入る。

(説明)物販コーナー。同人誌即売会、小さなコミケ/コミティアのような場所。同人誌、復刊本、様々なアイテム、等がある。

「小松左京研究会」の「小松左京マガジン」を手に取る。
活字になった「昔」のものを辿るときというのは、今からさかのぼって歴史を想像するような感じ。そして私にとって小松左京は「昔」の存在だった。より正確に言うなら、記述する文法が、私の生育歴上でその時点での「今」として経験してきたものと、違う感じなのだ(小松左京の小説よりも「小松左京(のなんとか)について語る」とかいう当時の文章の方が、よりそれを感じる)。このマガジンも、一冊開いてぱらぱらしてみると、ちょっとそんな感じである。けれど、発行は思ったよりも後で、2005年だった。そこが不思議だった。当時の自分は中学たぶん二年生。十分生きてるときだった。近代文学とミステリとファンタジーとラノベとブルーバックスとインディーズフリーゲームとネット小説と心理学本と自己啓発書とアングラサイトとなんかとにかくなんかをあさっていたときだった。VTuberはなかった。世界構築の最中だった。けれどそこに小松左京はなかった。人名としては存在した。けれどそのようにしてはなかった。田中芳樹や夢枕獏はファンタジーの文脈で摂取して、筒井康隆や星新一はそれぞれ読みもした(たぶん)だけれど小松左京はなかった――より正確に言うと、接触してはいたかもしれないけれど、他の人物と混同もした――。いや思い出した。小松左京が「昔」だと思うようになったのは、意外と最近のことかもしれない。当時は「影」のような存在であったかもしれない。(どうしてか)吉本隆明と近いような。
なんというか、だから、このマガジンは、別の歴史が併走しているような感じで、不思議で、面白かった。……と、「「昔」だと思っていた」と思っていた時は思っていたようなのだが、今はもうひとつ付け足す。別の歴史の大陸に接触したような感じ。そしてその大陸の形を表すそっちの照明を知ったような。そうしてみると、これはよくある話なのだろうか?

・「人型ロボットの現在と未来」
会場がある3階に向かう。しかしトラップがある。三階は二つの区画に分かれていて、お互いの区画を行き来するには、別の階を経由しなくてはならない。これにやられてうろうろしました。
さらにこの会場は改装中の模様で、クーラーがなく、扇風機で奮闘中。いや大変。

座談会形式で、「ロボットの個について」「ロボットの死について」というテーマについての話がなされた。

太田智美さんから、一緒に過ごしているペッパーのCPU交換をしなかったという話が出る。CPU交換をした個体は「性格」や「友達関係」が変わってしまったというらしい。
長谷敏司さんが、ロボットに対して個性を感じるというのには、相手の反応の予想&実際の反応による強化があるのではないかと。「人間にとって都合のいいパーソナリティ」以外を持たせる効用は? ロボット自身にとって「ロボットが持つことで高い効用を持つパーソナリティ」は存在するのか? という問題提起。聖人ロボットも兵隊もつくれてしまうという問題。

長谷さんが、ロボットの死は複層的な現象であると話す。技術・社会・経済・法的レイヤーそれぞれで定義し、扱う。
太田さんから、死にはストーリーが大きな影響を与えるというお話。
梶田秀司さんが、技術文明があと1000年維持できれば、10億年後に化石からよみがえることのできるロボットも原理的に可能だと期待している、という。

・部屋
部屋に戻って休みました。優雅なひとときでした。

・開会式(途中から)
星雲賞発表を途中からみました。
「星雲賞」が、SF大会参加者(会場参加者&星雲賞投票権のみの参加者)の投票で決まる賞だと知ったのはいつのことだったでしょうか。なお、「ヒューゴー賞」も、ファン投票で決まる賞です(「ワールドコン」という地球人類SFファンが集まる大会で発表される)。

今回の各部門受賞作は

日本長編部門:あとは野となれ大和撫子(宮内悠介)
日本短編部門:雲南省スー族におけるVR技術の使用例(柴田勝家)
海外長編部門:巨神計画(シルヴァン・ヌーヴェル、佐田千織(翻訳) )
海外短編部門:折りたたみ北京(郝景芳、大谷真弓(翻訳)、ケン・リュウ(英訳) )
メディア部門:けものフレンズ(たつき監督)
コミック部門:それでも町は廻っている(石黒正数)
アート部門:永野のりこ
ノンフィクション部門:『アリエナクナイ科学ノ教科書 〜空想設定を読み解く31講〜』(著者・くられ/協力・薬理凶室(ソシム))
自由部門:『超人ロック』生誕50周年トリビュート企画

このほかにも、SF大会では「センス・オブ・ジェンダー賞」、その回のSF大会における現象・存在を対象とした「暗黒星雲賞」等の賞が発表されるようです。今回こちらは閉会式で発表されました。

・夕食
昼を抜かした&夕食は21時までしかない、というので、今のうちに食べようと、夕方、夕食会場の7階に。
ここで、初対面で相席したたかさんと、甘木さんと、お話しする。
なお翌朝は、「SF文学振興会」の方々と、お話を。

食べているうちに混んできて、空になったお皿がするすると運ばれていく。

野菜を用いた郷土料理(汁物)がおいしかった。根菜根菜。汁物汁物。
追記すると、上毛高原駅のそばで買った蒟蒻ゼリーもおいしかった。

・「哲学対話でSFの問いを考えてみよう」

SF作品とリンクする哲学の問いについてディスカッションする企画。
「どこでもドアをくぐって戻ってきた自分は自分か?」
「我々はどこから来てどこへ行くか?」
「人間は自分以上の知性を理解できるか?」
といった問題ごとにグループに分かれて話し合い、各自浮かんだ問いを付箋に書いて提出し、それを受けて話をまた続けていくというかたち。
こういった問いを重ねていくのは、SF作品の構造に生かせそうでもある。

・「中華SFの世界」
2つあるうち2つめのコマ。

中国からのゲストがいらっしゃり、通訳していただいて聞く。

内容は、中国と日本の幻想文化について。前半では、平安時代ごろの双方の類似性を扱い、後半では、現代のポップカルチャーでの交流について扱う。

(前半)
「長安城と平安京の千夜一夜物語」というタイトル。
唐代・平安時代の中国・日本で幻想小説が発展していた背景に、ともども経済・文化的安定があったこと、当時の幻想文学で大きな存在感を持っていた双方の都についての紹介など。
唐代になり、魏晋の志怪小説(短く、キャラクター性があまりなく、作者も不詳)から、今の小説に似た文学への発展が起きたらしい。そして、日本のものとテーマや要素に類似性がある。

(後半)
「中国古典幻想元素の交融」。

中国の若い世代は、中国・日本、二つの文学の影響を同時に理解できる。
そして、現代の中国・日本のポップカルチャーではお互いの国の文化要素が行き来している。これは、形をすべて保ったまま取り入れるわけではない。
たとえば、中国で人気の「西遊記」は、中国ではストーリーは伝統的なまま何度か映像化されているが、日本ではストーリーやファッションを変えてしまうなど、換骨奪胎している。
他方、中国では陰陽師が人気で、陰陽師・妖怪を(和風の絵柄&日本人有名声優で)ゲームにし、そこに中華の怪を(やはり和風の絵柄で)登場させる、という「融合」を行っている。

・「手作り3D映像とプラネタリウム」

2階で手作りプラネタリウムに入る。
なんと、鍋を二つつなげて、そこに数千個穴を開けることでプラネタリウムにしているらしい。
人間は宇宙を手に収めようとする欲求を持っているのだろうか。DIYの野心。

・大広間(宴会場)

ゲンロンの最終課題で出した改稿中の原稿について、色々コメントをいただく。(大森さん、井手さん、はじめ、いらっしゃった皆様、ありがとうございます)

そこから宇宙開発などの話を聞き、AM3時半すぎに部屋へ。

これからも色々ありましたが、レポートを書き直しているうちに、他の方の証言と記憶の食い違いが発覚し、書き手の人格の当時からの乖離が覚えられるようになったため、この辺にしておきます。

 

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