西洋世界で科学は長いあいだ忘れ去られ、人々は神の名の下に荒唐無稽な理論を積み重ねた。その愚かさは長い歴史という地平に置かれたときの見取り図にすぎない。先人の愚かさを笑う私たちもまた、その愚かさとは無縁でいられないし、いまもまた十分に愚かなのだろう。
ガリレオを引くまでもない、現在の私たちの生活を支える技術は、かなりの長い時間、神と共存してきた。たとえば私がいま飲んでいるビールは修道院で醸造の知識を蓄積してきたし、生産を支える清貧といった概念さえ、修道院で培われたものだ。私たちが科学と名付けている多くのものは、神との対話から生まれた。神に支配され中世は、古代ギリシャやイスラム世界と並び、科学の礎を築いた一時代なのである。
『ガルシア・デ・マローネスによって救済された大地』を書いた高木刑は、本書によって第1回ゲンロンSF新人賞を受賞した作家である。高木を特徴づける点は様々にあるが、その一つが時代設定の特異性にある。高木は少し不思議な箱庭を用意する。それはたとえば、本書が舞台とする「異星人の襲来を経て宇宙へ向かうようになった一七〇〇年代」である。
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あらすじを説明しよう。船団にのって宇宙へ旅立つようになった人類は、宙洞(ワームホールのようなもの)を通って、不毛の大地となっている植民星セネキアにいた。そこでは中空に巨大な手が浮かんでいて、どうやら脳の皺のごとくうねる大地が生み出している。どうやら証聖官ガルシア・デ・マローネスはその謎をとくべく、修道女カタリナをわざわざ呼び寄せた。そして催されることになったミサでカタリナは血を吹き出して倒れる。その手には聖痕が残り……。
飄々として胡散臭いガルシア、そして峻厳な処女といったカタリナなど、登場人物も魅力的だ。描写の書き込みにも目を見張るものがある。
高木刑はまだ世に出たばかりの作家だが、ゲンロンSF講座で発表したいくつかの作品において、SF作家としては独特な時代・舞台設定を行うタイプであることがよくわかる。「コランポーの王は死んだ」では『シートン動物記』と火星人を。そして、「西中之島の昆虫たち」では戦前の日本とタイムトリップを。そして「チコとヨハンナの太陽」ではティコ・ブラーエと宇宙航行を。
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もちろん、こうした「舞台設定の意外性」は高木の専売特許というわけではない。最近の例では円城塔『文字渦』を引くまでもないが、SFというジャンルにおいては、そのジャンル内で特異とされる領域があり、その類型の一つに「時代や舞台設定の妙」がある。
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それでも高木にもまた唯一無二の作家であるかもしれない特性がある。それは、SF作家として——つまりエンタメ作家として——優れていくにあたって失われていく特質の一つである「うかつさ」だ、と私は考える。高木の文章は、おそらく本人の資質なのだろうが、ところどころ「うかつ」である。
「ところでお兄さまは色々な場所に行ったことあるみたいですけど、モスクワはどうですか」
「モスクワ?」モスクワというと、あのモスクワか? というような顔。「いや、ない」
「私もありません」
なんだこの会話?
なんだこの文章? しかし、このような文章を書けてしまえる「うかつさ」が、高木の才能でもある。この「うかつさ」は高木を苦しめるだろう。しかし、この「うかつさ」によって、高木は救われるだろう。異常な舞台について濃密に描かれた文章にチャーミングな要素を盛り込むのはこの「うかつさ」であろう。
いつか読むかもしれない高木刑の大いなる跳躍について、いまのうちに予習しておくのも悪いことではない。ぜひご一読を。
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